しんかいのデザインノート

小さな振り返りノートの積み重ねから気づいた大きなスケッチブック。今のところの考えをつれづれなるままに。

個別最適な学びと多様性と自己受容

授業をしていて

「今日はできた」

と言われる時、子どもたちは結構うれしそう。

こういうことを伝えてくるのは苦手意識をもっている子が多い。

最近だと水泳学習のときかなー。


みんなと同じことができるというのはやっぱり嬉しいのである。

できている時はみんなと一緒だという安心感があり、

できない時は劣等感が生まれるのだ。

学習だけに限らない。


独身の人に対して「結婚しないんですか?」

不妊治療してる人に対して「子どもはいないんですか?」

障がいのある子どもを持つ保護者の方々の障がい受容

LGBTの話もなんとなく

認知のバイアス「当たり前」の感覚があって、無意識から出る言葉が人を傷つけていくのだろうと思う。

なぜ、自分は人と同じじゃないんだろう?って。

(学習と同列の話ではないかもしれないけど)


ここから抜け出して

自己受容をどこでできるようになるのか?


推し活をしているもしくはオタクと呼ばれる方々はある種そういうのに突き抜けているなぁとも感覚的には思う。

周りは関係なく、「自分はこれ!」というものを持っている。


「好きなものに突き抜けれる」

と同時にもしかしたら

「周りと同じ出なくてもいい」

という気持ちになれている?もしくはあきらめている?のかもしれない。


個別最適な学びを考えるとき

「一人一人の課題」「個人で取り組む」

という時に、それは間違えると永遠に追いつけない差を子どもたちが小学生の時に感じてしまうことがあるのではないだろうか?

ものすごいクラスの苦手な子をサポートする体制が出来上がらないと

知識の面でもう埋まりえない差が生まれる。


もしくはその子が1つのことで突き抜けるか。


ここは多様性で片付けていい問題なのだろうか。

AIが発達してきたから、もう知識はいらないのだろうか。

新しいアイデアは知識を集合して生まれるなら

その量が多い人、そしてうまくつなげられる人がこの先の社会では生き残っていくのだとしたら。

自由進度の個別最適な学びはその子の将来のためになるのか?

最低限の知識ってなんだろう?

それが学習指導要領だとしたらそれは全員学べるのか?

そこらへんも考えていきたいなぁと思う。

 

もし可能にするとしたら、その自由進度をする際の課題の作り方

そして、それをサポートする多様性に対しておおらかである学級

困りごとを全力でサポートする学級

なのかな。


これが日本ではなく、多様な民族がいる海外であれば

「ちょっと留年してくるわ」みたいな感覚の文化があれば

違うのかもしれない。