連れてくるのかたどり着くのか。
あとで、きっちり指導しておきます。
俺こわいから、きっとやりますよ。
壁になることからその子の価値になることはあるのだろうか?
過去にめちゃくちゃ怒られた経験があって
2回目の時には自分たちでそれをやっていたから、成長したよねって言えるのか?
自分たちで考えろと言われて考えたことは自主性なのだろうか?
指導を考える時、僕たちはやはり伝えないといけないことはある。
ルールはこうだよとか
もうちょっと高みを目指そうとか。
伝えたいことはある。
しかし、そこの価値を示して、子どもたちは納得してやりたくてやっているのだろうか?
強いリーダーシップのもと、たどり着いた駅は連れてこられた駅でたどり着いた駅じゃない。
連れてこられるとたどり着く。
方向性はそっちと伝えるけど、自分たちで道を作ったらきっともう一度進めるのだ。
リーダーシップとはとっても難しい。
どこまで引っ張り、見守るのか。
言うべきことは何か?
お互いがお互いをケアしていけるように。
さらには、ハードワークを前提としていけるように。
いつももう一度考えたい。