しんかいのデザインノート

小さな振り返りノートの積み重ねから気づいた大きなスケッチブック。今のところの考えをつれづれなるままに。

本当に大切なスキルは何か?

今考えていることはそんなことです。

テンポよく授業をすることができるようになってきた半面

もう少しシンプルに必要な技術を抑えていきたい。

 

おそらくどの教科でも使われている力は違わないはず

 

「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる

「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる

 

 この本の中には

予想する

明らかにする

要約する

質問する

と4つのポイントが書かれていますが、それだけなのでしょうか?

 

社会では仮説を立ててそれを実際に調査すること、調べることなどが解決に向かわせます。

理科では仮説を確かめることは実験や観察です

算数では仮説を証明するためこれまでの既習事項を用いて推論していきます。

すべては順序なのかなー?

 

そして、このスキルは国語でも使えるのでしょうか?

そんなワークシートを作ることは可能なんでしょうか?

もう一度シンキングツールの本を見直しています。

 

それと同時に

最近の国語の学習「詩を楽しもう」では、短い文からイメージを映像化することが大切だなってことを改めて感じました。

予想するっていうかイメージすることはすごく大切そう。

 

さあ、本当に必要な本質的な技術は何か?

もう少し考えていきたいと思います。

フローを作るか、チームを作るか

さて、1日目が終わりました。

なんとなーくfacebookにもゲームするって書いてる人がいたので、僕も冬休みビンゴから。

全くの白紙から自分で質問内容を考えるので、準備はありません。ネイチャーゲームでやったなーってことを応用しました。

楽しそうにできたから、よかった。

 

授業もスタート。

課題は話し合いのレベルを上げていくこと。

集中して学び合うためにはどうしたらいいのか?

手段としては2つあるのかなーと思っています。

1.自分の興味のあることに特化していくこと

好きなことをやっている時って集中するのように、興味関心にそうことをするって大切。

そうすることで、没頭できるんですよね。フロー状態というんでしょうか。

でも、一人ひとりクラスにいる人の興味は同じなのか?って言われたらそうではないので、本当に一人ひとりが興味に合うことをって言ったら、学びは個別化していきます。

あまり話し合いは起きなくなるし、情報に偏りが出るので話し合いは難しくなることが予想されます。

 

全体でフロー状態にするのは、全体の興味が向くように発問を仕掛けることですが、ちょっと難しい。

今のところのベストな問いはありますが、完璧ではありません。

これはまたいつか。

 

もう一つ

2.集団をチームにすること

よりチームを意識した声かけをすることです。

「自分の学びさえよければいいのではない、他の人にも目を向けよう」

「相手だけではなく、みんなに目を向けたら声の出し方も変わる」

「話し合う内容はどうなのか振り返ろう。課題に集中できてる?」

のようにより視座を高めるような声かけです。

チームになって常に意識が周りあると、いろいろと考えますね。

理想像をしっかりと共有することで、無駄が減っていきます。

学び合いってものですね。

 

僕のクラスはまだまだですが、どちらかに特化していくことで、より深まっていくのかなーと。

でも、どちらかというと学校は学級システムもそうですがチームとしての取り組みを求められている気がします。

だからこそ後者の方を少し意識したほうがいいのかなーと今のところは思っています。

そうすれば、個別化されたとしてもいい状態を保てるのではないでしょうか?

 

と、こんな感じで考えごとをしています。

2017振り返り④学級のシステム

これでラストかな~振り返り編

最後は学級のシステム

まずは日直から。日直に関してすべての当番を引き受けるために班ごとに行っていた。

黒板を消したり、学習の前や後の挨拶をしたりすること。配り物をすることもそうであった。

これはクラスで最初の決めた。しかし、前期を見ていてこれは機能していないなーと思ったので

前年度行っていた一人一役制に戻す。こちらの方がやはり機能している。それでもさぼってしまうとか忘れてしまう子がいるので定期的に振り返ることが必要だなと思う。でもこの1ボランティアシステムはやはり大切だと思う。所属感をしっかりと高めてくれていて、「俺の仕事」という感覚がやはりある。

忘れてしまっていたら、やってあげる。声をかけるっていうのも少しずつできてきている。お互いがケアしあっているのでいい関係が生まれている。

 

次に朝の会・帰りの会

僕のクラスの朝の会は立ってサークルになってあいさつ・歌を歌う・健康観察まで行う。

サークルになる意味は安心する場所から始めてほしいから。

健康観察は次の人を呼ぶリレー方式。去年はタイムを測ったりしていたけど、停滞するし毎日イニシアチブはモチベーションが続かないのでやめた(笑)

インパルスはでもタイムを測らないとちょっとつまらない。

おそらく健康観察がペアトークでいいのである元気かどうか隣の人同士で確認しあう。

次にペアトーク。2~3人組でお題について話す。だいたいお題は日直が決めてる

「お題リスト」みたいなものがあって僕が決めてしまうこともあるけども楽しそう。

でも、クラスとしてレベルアップを図るのであれば

ここにより目標を意識した「まじめな対話」が必要だった。

コミュニティをすぐにチームができる状態というように定義するならば

1.質の高いコミュニケーション

2.相手に貢献しようとすること

はとても大切。

ここに入るタイミングを今年は少し遅かった。気づくのが遅かったなーって思う。

しっかりと時期を見極めて「質」に転換することが必要だったなと。

最後に係活動の時間。5分ぐらい好きなことをやっている。これはみんなけっこう工夫を凝らしてる。やっぱり何かを披露する場があることは大切。

サークルになる必要はあるのか?って言われたら、サークルになるメリットを生かせてはいない気がするのでもう少しみんなの顔を見ることを大切にしていきたいなーと思う。

そして、先生の話。

つまり、ここまで長いの(笑)一番の問題点。

もう少し短縮できるところがあればいいけどでも、ここは効果があるし楽しいからいいんだよなー。

 

帰りの会は短い。

1.今日あったいいところをみんなで紹介し拍手する

2.先生の話

あいさつしてさようならとめちゃくちゃ短い(笑)

話はきっとみんな帰りたいから聞いてなさそうだし、帰りの会はとっても短く。

「早く帰れるクラス」というのがちょっとしたステータスなのだ。

給食もなるべく残さないようにするし、掃除も早く終わるように自分の場所が終わった子から教室に戻ってきて手伝う。

そうやって、「自分たちがすごい」っていうことをかなり操作しているが持たせていくことはする。俺たちすごいって気持ちが次につながっていくから

振り返りは一週間に一度。がっつりと。本気で振り返る自分の成長について。

帰りの会に書くのが日記なら僕にとってはそんなに意味をなさない。一人一人にコメントするのは宿題があるから。

 

でも朝の会の前に登校した後から1日1人って決めて、ローテーションで声をかけたりしながら、声をかけられずにずっといる状態は避けていきたいなーって思っている。

 

さあ、明日から冬休み明け。楽しもうー。

2017振り返り③教室掲示

教室掲示は基本的にいいものを紹介するコーナーがあります。

僕が価値あるなーって思う行動を写真に撮ってそこに素敵な言葉を添えて貼り出すコーナー「価値行動」(黄色)

素敵な振り返りを貼り出すコーナー(ピンク)

素敵なノートを貼り出すコーナー(きみどり)

素敵な自主学習を貼り出すコーナー(水色)

 

4つコーナーがあります。

ノートを集めた時、宿題を集めた時、学級通信にも載せるので写真もパソコンにつないだ時に印刷やコピーをしておきます。

それを色画用紙に貼って言葉を添えて掲示完了!

評価しながらやっていきます。コーナーが埋まったら、古いものははがし、本人にプレゼントです。

いろいろな子が出るようになるべく出てない子を探しながら。

でも、けっこう大変だったりします(笑)

 

ノートを評価する時間をもう少し減らしたいなーと思う反面、子どものことを詳しく書いた通知表をお家の方にプレゼントするためにもけっこう細かく見てしまいます。

ここもパソコンと連動させるともう少し早い気がするのですが、まだうまくいかず。

手書きしてから、パソコンに打ち出すようになってるのでちょっと手間がかかります。

その分通知表はお家の方に「よく見てもらってる」って言っていただけましたが。

 

これは実は子どもと一緒にできたらいいなーと思っていますが、うまく機能せず。

ここはもう少し改善していきたいところです。

続・言葉を出さない人に目を向ける~リフレクションについて

 

sakanastone.hatenadiary.jp

この内容をフェイスブックに書いたところ

思わずコメント欄にたくさん対話が起こったので・・・

僕のために覚えておこうと貼っておきます。

 【言葉を出す人も不安なのか?理由について】

たぶんだけど、その話は「確認」のために声を出しているんじゃないかなー。
自分のことあってる?とか伝わってる?って「確認」。
でも、声を出さない人って「確認したいけど」勇気とか一歩出ないんだよ。
ちょー安心じゃないと出れない気がするの。だから、ちゃんと見てあげないとなーって。

もしかしたら、その人は「確認」したいけど、様子を見て必死に手がかりをつかんでる途中かもしれないからね。

そういう人は少し見守っててほしいのかも。

ついでに言えば、

リフレクションとかって他者の存在が必要なんだどさ、
強制的に他者と関わらせることは必要なのかな?って。

実は「確認」をしたいけど「自分で気づけるように」必死で考えてるかもしれないじゃん?
他者とかかわるともちろん解決ははやいけど。

そういう人ってだいたい強制的かかわらせたところで、
本当のことを少しぼかしたりして遠回りに聞くしね。

なーんてことも思ったり。

見守ってるって大切。伝え方って大切。直接言っていい人とそうでない人がいるのだなーと。

 

【意見を言わなきゃいけないグループ】

「みんな意見を言って!」という強制的なグループは

言える場所であれば、言ってるんだよね。もうとっくのとうに

そういう安心の場ではないことを知っておくってことが必要なんだと思う。

それに対して

「どう思う?」
とか、
「私はこう思うんだけど、それに対して何か意見ある?」
とか、
意見を訊ねるようなことが起こると助かる。

 

「こと」が起こるっているのが大切で

 

じゃあ

強制的に意見を言わせられることは人を成長させるのか?、そういう我慢体験、苦労体験は必要なのか?って話ですが

ファシリテーターは配慮してもいいのかもしれません。

参加者には強いない。

そのうえで、そういう場が起こった時を見逃さずフィードバックする。

いろんなことを考えると配慮しすぎる場を作ってしまうこともあるので、難しいのかなーとも思いますが

そのために目的とかリフレクションとかってあるのかなと思います。

この体験が起きなければ学びが起きないわけだし。

 

でも、ポイントは「体験」が学びの引き金になるのであって

注意が学びのきっかけになるのではないということです。

体験が学びにつながるようにしていきたいなと思います。

 

グループの中に癒しと成長の場をつくる 葛藤を抱える青少年のためのアドベンチャーベースドカウンセリング

グループの中に癒しと成長の場をつくる 葛藤を抱える青少年のためのアドベンチャーベースドカウンセリング

 

 最近、体験を振り返って学びにつなげることをこの本を整理しながら痛感しています。

学びの個別化は本当に必要か?

「学習の個別化」なんてことが言われてますが、どこまで個別化すればいいんだろう??

っていうのが最近の問いです。

 

授業の中で差が出ることは当然あると思います。

算数だと特に苦手な子もいるし、数秒でできてしまう人もいる。

そういう子たちにとって繰り返し学べる、そして安心できる学びの場は必要かなーって思います。

差にばらつきが出たとしても。

先に進める子、仲間のためを思う子、自分のことをハードワークする子

いろいろいてもいいなーと。

 

その幅はやるべきことが決まっているならちょっと単元を踏み越えることはありなんだろうと思います。

イエナプランのように学習することが決まっているのであれば、かろうじてありなのかなと思いますが、だんだんと差が出ていくことは確実なので学び合いは起きにくくなっていくのかなと思います。

 

さて、僕が今「どうなんだろう?」って思っているのはその先。

個人で探究をし始めた時、そこに助け合いは起こるのでしょうか?

探究した先にやはり全体に貢献するというような共有がないといけないのかなと

その情報提供が必要だと。もちろん相手意識をもって伝わるようにプレゼンテーション等を考えることが必要です。

でも、一人一人が別々のことをやり始めたら知識や情報量の偏りや差が出ることは想像ができ、アドバイスを送るということは情報収集の場面ではできなくなるのではないかと思います。

できるとしたら、表現方法の工夫の仕方かなと。

じゃあその一人学びの時間がメインになってしまった学校は必要なのでしょうか?

せっかくの学校なのに、そこにたくさんの人がいる意味はいったい何なのでしょうか?

日本人古来の持つ「背中で語る」のように学ぶ姿を見せることなのでしょうか?

なかなか家庭の時間も自由には過ごせませんが、学校であえてソロの時間を作るべきでしょうか?

そうなのであれば、どのくらいの時間かなー?って思います。

 

 

もはや協働性は学習の中で生まれることはほとんどなく、

運動会などの行事での協働性しかないのではないか?

 

僕は学校に人がいる同じクラスにいる人たちで作り上げるコミュニティの一体感が好きです。

この一体感が薄くなってしまうのはもったいない気もします。

なにか協働して作り上げるそういう場も大切に保存していきたいなと思います。

 

だからこそ、ちゃんとバランスが大切なんだと。

僕はどっちかというと協働が多い方が好きですが。皆さんはどうなのでしょうか?

 

地域の中にある「学校」ということをしっかりと意識して・・・考えていきたいなと思います。

 

 

今のところではありますが。

言葉に出さない人を感じとる人に

たくさんしゃべる人にはもちろん憧れます。

すごいなーってでも、きっと自信があるんだろうと思うんです。

「言葉に出して、助けてもらえればアドバイスもらえばいいじゃん」
って言うけど、まず自分のことを出すというハードルがあるんですよね。
もちろんいいことも悪いことももらえるし、
でも、きっと怖いんだなーって思います。
いいことよりも悪いことはずっと心に響くから。

言葉を出さない人はよく見てます。
でね、自分の中で考えているんです。
自分の理想のイメージにどうやって近づけるのか?って。

ある程度、自信がついたら
きっと「私こうやったんだけどどう?」って
言えるんじゃないでしょうか?

だから、まずはどういう自分になりたいのか聴いてあげることから始めたいなーって思います。

自分でも、子どもに
「ちゃんと言ったらいいじゃん」
なんて言ってしまうけど

ゆっくりと始められる人になりたいなーと思います。

そんなことをぼんやりと考えながら
明治神宮にお参りに行ってきたいと思います!