続・言葉を出さない人に目を向ける~リフレクションについて
この内容をフェイスブックに書いたところ
思わずコメント欄にたくさん対話が起こったので・・・
僕のために覚えておこうと貼っておきます。
【言葉を出す人も不安なのか?理由について】
たぶんだけど、その話は「確認」のために声を出しているんじゃないかなー。
自分のことあってる?とか伝わってる?って「確認」。
でも、声を出さない人って「確認したいけど」勇気とか一歩出ないんだよ。
ちょー安心じゃないと出れない気がするの。だから、ちゃんと見てあげないとなーって。
もしかしたら、その人は「確認」したいけど、様子を見て必死に手がかりをつかんでる途中かもしれないからね。
そういう人は少し見守っててほしいのかも。
ついでに言えば、
リフレクションとかって他者の存在が必要なんだどさ、
強制的に他者と関わらせることは必要なのかな?って。
実は「確認」をしたいけど「自分で気づけるように」必死で考えてるかもしれないじゃん?
他者とかかわるともちろん解決ははやいけど。
そういう人ってだいたい強制的かかわらせたところで、
本当のことを少しぼかしたりして遠回りに聞くしね。
なーんてことも思ったり。
見守ってるって大切。伝え方って大切。直接言っていい人とそうでない人がいるのだなーと。
【意見を言わなきゃいけないグループ】
「みんな意見を言って!」という強制的なグループは
言える場所であれば、言ってるんだよね。もうとっくのとうに
そういう安心の場ではないことを知っておくってことが必要なんだと思う。
それに対して
「どう思う?」
とか、
「私はこう思うんだけど、それに対して何か意見ある?」
とか、
意見を訊ねるようなことが起こると助かる。
「こと」が起こるっているのが大切で
じゃあ
強制的に意見を言わせられることは人を成長させるのか?、そういう我慢体験、苦労体験は必要なのか?って話ですが
ファシリテーターは配慮してもいいのかもしれません。
参加者には強いない。
そのうえで、そういう場が起こった時を見逃さずフィードバックする。
いろんなことを考えると配慮しすぎる場を作ってしまうこともあるので、難しいのかなーとも思いますが
そのために目的とかリフレクションとかってあるのかなと思います。
この体験が起きなければ学びが起きないわけだし。
でも、ポイントは「体験」が学びの引き金になるのであって
注意が学びのきっかけになるのではないということです。
体験が学びにつながるようにしていきたいなと思います。
グループの中に癒しと成長の場をつくる 葛藤を抱える青少年のためのアドベンチャーベースドカウンセリング
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最近、体験を振り返って学びにつなげることをこの本を整理しながら痛感しています。