学びの個別化は本当に必要か?
「学習の個別化」なんてことが言われてますが、どこまで個別化すればいいんだろう??
っていうのが最近の問いです。
授業の中で差が出ることは当然あると思います。
算数だと特に苦手な子もいるし、数秒でできてしまう人もいる。
そういう子たちにとって繰り返し学べる、そして安心できる学びの場は必要かなーって思います。
差にばらつきが出たとしても。
先に進める子、仲間のためを思う子、自分のことをハードワークする子
いろいろいてもいいなーと。
その幅はやるべきことが決まっているならちょっと単元を踏み越えることはありなんだろうと思います。
イエナプランのように学習することが決まっているのであれば、かろうじてありなのかなと思いますが、だんだんと差が出ていくことは確実なので学び合いは起きにくくなっていくのかなと思います。
さて、僕が今「どうなんだろう?」って思っているのはその先。
個人で探究をし始めた時、そこに助け合いは起こるのでしょうか?
探究した先にやはり全体に貢献するというような共有がないといけないのかなと
その情報提供が必要だと。もちろん相手意識をもって伝わるようにプレゼンテーション等を考えることが必要です。
でも、一人一人が別々のことをやり始めたら知識や情報量の偏りや差が出ることは想像ができ、アドバイスを送るということは情報収集の場面ではできなくなるのではないかと思います。
できるとしたら、表現方法の工夫の仕方かなと。
じゃあその一人学びの時間がメインになってしまった学校は必要なのでしょうか?
せっかくの学校なのに、そこにたくさんの人がいる意味はいったい何なのでしょうか?
日本人古来の持つ「背中で語る」のように学ぶ姿を見せることなのでしょうか?
なかなか家庭の時間も自由には過ごせませんが、学校であえてソロの時間を作るべきでしょうか?
そうなのであれば、どのくらいの時間かなー?って思います。
もはや協働性は学習の中で生まれることはほとんどなく、
運動会などの行事での協働性しかないのではないか?
僕は学校に人がいる同じクラスにいる人たちで作り上げるコミュニティの一体感が好きです。
この一体感が薄くなってしまうのはもったいない気もします。
なにか協働して作り上げるそういう場も大切に保存していきたいなと思います。
だからこそ、ちゃんとバランスが大切なんだと。
僕はどっちかというと協働が多い方が好きですが。皆さんはどうなのでしょうか?
地域の中にある「学校」ということをしっかりと意識して・・・考えていきたいなと思います。
今のところではありますが。