しんかいのデザインノート

小さな振り返りノートの積み重ねから気づいた大きなスケッチブック。今のところの考えをつれづれなるままに。

被災地を見学して思うこと

「ボランティアじゃなければ、被災地に行くのなんて申し訳ない」
僕はずっとそう思っていました。
「自分のために」なんて気持ちでいたら…
誘われて行くまでも現地に着いてからもそういった気持ちはずっとありました。



一か所だけではなく、被災地の街をKAIさんにガイドしてもらいながら、複数まわりました。
同じ被災地でも復興に向けた進み具合にちょっとした違いがあること
100分の1になったとはいえ、被害の状況も全然違いました。


当日の避難の様子
引き渡しをして助からなかった学校
みんながバラバラに逃げて助かった学校
今までよしとされていたこと考え直すきっかけになりました。


あべPAPAさんと話している時に
「自分なんか仕事もあるし、家もあるし」
現地の方々は津波が来たか来ないかで「被災地」を判断していることを知りました。
自分も地震にあっているのになんだか優しい言葉だなって思いました。

もちろん、ほんの数mしか違わないのに津波の来ているところとそうでないところは全く違う状況でした。
そういう言葉もほんの少し実感することができたと思います。


階段にある家庭科室の机

倒れて横になった家

卒業証書

家の上に家がのっかってる

すぐそこまでやってくる海


大丈夫と言われていた10mの防波堤はすべてなくなった。

そんなあり得ない光景の数々


でもそんな中にも、あったかいものも見れました。

手作りの公園
ここでは地元の小学生といっしょに遊んできました。
無邪気に楽しんでいる中にも、言葉には「津波が来なければな〜」っていうことがあらわれていました。


ある学校にある落書きからは「みんな元気?」という言葉やがんばろうって気持ちが表れていて
「ここに来れば誰かに会える」そんなあったかさを感じ、
あらためて、学校のよさを感じることができる瞬間でした。


途中で一緒に回っていたれいなから火事で家がなくなった話も聞きました
「あったことを思い出したくないから、同じところに行きたくない」
これも素直な気持ちだと思います。
でも、戻らなくてはいけない現実もある。
「あったことを忘れないために、もどる」ということもある。
どういうきっかけなんだろうか?


今、家のなくなってしまった子どもたちはどうしているのだろうか?
モノがなくなってしまった子どもたちは、どんな学習をしているのだろうか?
ここに住んでいた人たちは、またここに戻ってきたいと思うのだろうか?


遠く離れた場所で僕は何ができるのだろうか?
学校で教えるべきこと・教育の目的となる人間像はなんなのだろうか?
どういう社会を目指していくのだろうか?



ずっと回りながらそんなことを考えていました。
やっぱり「人のつながり」なんだろうか?
答えははっきり出ません。でも、焦って出さなくていいのだろうと思います。
というか、この考えるきっかけをもらったことで
行動は変化するんだと思います。


泊まり込みで自分の生活を投げ出してボランティアに携わっている人
そんな人を見ると「自分のことばかり考えていた、自分は小さいな」なんて気持ちになります。
でも、見ることで感じたことを伝えたり
見ることで考えたことを自分の仕事に少しでも生かせたら
それだけで、価値があるのではないかと思います。


うまくまとまらないけど、これが素直な気持ち。