しんかいのデザインノート

小さな振り返りノートの積み重ねから気づいた大きなスケッチブック。今のところの考えをつれづれなるままに。

作った人へのリスペクト

たたき台を作ってくれた人ってのは本当にありがたい。

それをすごく実感する。

その人へのアドバイスを付け足していくとき、何が必要なのだろうか?

 

昨日のできごと。

僕が作ったプログラムを実践して

出てきたことは「意味不明だと思った」

という一言。

 

実践して一通り終えて、思いが溢れるのはいい。

「他の人の意見も聞いてそう思った」

それはわかる。

次にやったグループの方がいい感じに終わっている。それも自己評価を下げる原因にもなる。

 

でも、このプログラムは同じグループの人が集まって話し合っている時には納得していたはず。

その人が放った一言が許せなかった。

 

さて、イライラすることはあるけどもじゃあ自分はそんなことはしてないのかなって。

していたかもって思ったら、じゃあどうしたらよかったのか。

 

少し考えて出てきたことは

・作成者の思いを喋ってもらう。

・作成者への労い、感謝は忘れてはいけない。

・アドバイスとして付け足すなら

「こういう意見もあった」だけでなく

「どうしたらいいんだろうなー?」「こんな風にしてみたらどうだろう?」

と代案を考える。

・否定だけはしない。

・僕だったらという前置詞付きの提案。

 

そんなところなんだろうか。

そんなことを考えると、なにかのプログラム案だけではなく、人の行動もこんな感じで伝えていくと建設的なんだろうなーと。

 

そのときはストレスが溜まったし、いや、今も心のどこかであるけど(笑)

いい経験として僕の中に落とし込めるといいなと思った。

足跡を残す。

プロセスが大事というけど、プロセスがよくて失敗してもいいということはなかなか少ないのではないだろうか?

 

いいチームだった。でも、負けちゃった。というのはそれは本当にいいチームだったのだろうか?

 

ハードワークをしていて、それでいて結果がついてこない。

そういう時はきっと努力の跡が残っている。

目に見えない何かがなくて、良いプロセスだったということはめったに起きない。

 

その過程に起きた何か?ここがポイントになるのかな。

足跡が残っていないそんな努力はもしかしたら努力ではないのかもしれない。

 

変わろうとしているか?そこが見えるかどうか。

ハードワークは基本かもしれない。

 

では、問題はそこにどうやって持っていくか。

僕の役目は諭すことかな。

周りからフォローしてもらえつつ、進めるように。

 

できない、やらない理由は聞くけど、ダメを伝えること。

周りからどう思われるか?自分はそのままでいいのか?

 

指摘されて

変わる時は今

今変わろうとしない人はもしかしたらもう変われない仲のかもしれない。

 

相手と目的

校内重点研究の授業が終わった。

成果もあれば課題ももちろん。まだまだうまくなることはできるなーと思う。

話し合い活動に対する目的意識と相手意識

ここがポイントとなった。

誰がどうなって欲しいからやるのか、それについての方法を議論する。たとえば、「パン屋さんのパンが売れるように」など。

ここをしっかりしていないと議論がブレるというものだ。

さて、じゃあ授業っていつもそうなのかと考えるといつも

何のために?

誰のために?

って聞かれるのもけっこうつらい。国語、算数やノートを取るときなんかはそうではない気もする。

 

問い詰められない時間だって必要なはずだ。

大人はどうなのだろう?誰のために何のために?ってあまり問われない仕事はあるのだろうか?

 

目指すものがチームなのか、コミュニティなのかにもやりそうな気がする。

僕が目指したいのは継続的なコミュニティであり、

1年間のチームだとは思ってない。

ゆるやかな場なのだ。

 

ところどころにチームはできそうだけど。その時にそのチームは何のために?って聞かれるようなのもありだろう?

コミュニティは作られるときに

ここのつながりと同様に、個別化とプロジェクト化との関連性も見えてきた気がする。

個人でやる作業個人の表現には個別化が向いていて、グループ、ペアでやる活動にはプロジェクト化が向いている。

相手に貢献する。

質の高いコミュニケーション、哲学に触れられるようにしていくか。もっと深い話をしないといけないんだなー。

まだ僕の課題は山積みです笑

表現系ワークショップを作ったことから・・・

今日は台風のために休校だったので、

晴れてからは洗濯物を干してちょっと買い物に出かけて、なんだかいい一日だった。
明日は校内研の授業者だけど、何とかなるんじゃないだろうか(笑)

僕がワークショップデザイナー育成プログラムに行ってからもう半分が過ぎた
あと残りも半分。

時間があるときに残しておこうって思いつつ、ずっと放置してしまったなー
今回の大人向けワークショップで作ったのは、今までやったことがないことをしたかった。
で、グループで作った「身体表現ワークショップ」
最も苦手な部類です。

だからこそ、苦手な人がどんな体験をするのかその気持ちに寄り添ってハードルの低いアイスブレイクから
感情や表現を少しずつ出せるように組み立てていくようにみんなで作った。
グループで1時間のワークショップだったので難しいところはあったけど、
もっと丁寧にしゃべってから、もっと握手やじゃんけんをいれて温めてから、感情あいさつとかペアに行ってもよかったとは個人的には思っているけど。1時間ではこんなものだろう。
テーマというか問いをあそこまで考えたこともなかった。すごく新鮮な時間だった。
表現するというテーマのワークショップを作るのは結構面白い。そして、汎用性が高いなーって。

問題はここからどう表現を評価し
どう学び合いを起こしていくのか
さらに多様性をどう共有していくか

でも、表現を少しずつ組み立てることはできるようになってきている。
これは作文にも図工にも使えることだ。
型を作って、それを破っていくようなそういうポイントを示していくことが大切なんだと思う。

スラップを使って演劇を作った時のような組み立てを考えるようになった。
教える型と丁寧なレベルアップがポイントかなと。
簡単な技能を伝える場。それを使って何かをする場。試すことのできる場。
徐々にレベルが上がるシークエンス。

見えていなかったものが少しずつ見えるようになってきているので、新しいものが生み出せそうな気もする。

算数はこれまでと同じようにできるか違いを考えながら進む。

国語の読みだってポイントとなる読みの技能をもう少し使いやすいものにしていけば、表現をしやすい。読みの技をもっとクリエイティブにしていくのだ。

あー、もっと授業を省察する時間がほしい。

質を落とさず、健康を考えた働き方へ。

今年、やってきたことを考えながら

でも、わかっていることは「この働き方はいけない」ということ

 

教室掲示では、

自立学習、振り返り、ノート、価値行動の掲示

宿題としては

プリントと合体した学級通信の作成

そして、お家の方とのコミュニケーション

 

ここへの価値やよさを僕の中でも感じてるだけあって、捨てたくない。

では、どうやって時短を目指していくのかだ。

 

丸つけとコメントにかける時間がやっぱり長い。。。

もう少しスピードアップできたらなー。

 

これは少しずつやりながら、価値を落とさずに短くしていこう。

 

半年間の目標です。

朝の会を省察

僕の朝の会にはルーティンがある。

立ってサークルになってあいさつ

歌を歌ってあいさつリレー

そのあとは2分間のペアトークを行う。

ここから係活動の時間が始まり

僕が話して終わる。

ここまでだいたい10分から15分ぐらい。

 

でも、最近の子どもたちの様子を見ていて思う。

「理想とは違うのは学年に応じた発達段階だから仕方ない。

どういう雰囲気を作っていくのかは指導するのだろう。」

この時間を僕はチェックインする時間、つまり穏やかな雰囲気で始めていくことが正解だと思っていた。

でも、ペアトークからはみ出していく子もいる。

そういう気分じゃないのだろう。そう思っていた。「1日ぐらい。」

でも、毎日彼女はかかわろうとしない。

「ペアを見つけなよ」「○○さんと話してみれば」

どうしてなのだろう?なぜやらないのだろう?

 

それは僕がはみ出すような場を作っていたからだったことに気付いたのだ。

ペアトークではなく、

チェックインの雰囲気なのではなく、

子どもたちに必要なのはもっと不特定多数にかかわりをする。流動的な朝の場。

交わす会話は一言から始めてもいいのではないか。

アイスブレイクのネームトスをしているようなそんな場所。

 

自分の形、勝手な理想像を押し付けてはいなかったか。

考えるきっかけになった。

連れてくるのかたどり着くのか。

あとで、きっちり指導しておきます。

俺こわいから、きっとやりますよ。

 

壁になることからその子の価値になることはあるのだろうか?

過去にめちゃくちゃ怒られた経験があって

2回目の時には自分たちでそれをやっていたから、成長したよねって言えるのか?

自分たちで考えろと言われて考えたことは自主性なのだろうか?

 

指導を考える時、僕たちはやはり伝えないといけないことはある。

ルールはこうだよとか

もうちょっと高みを目指そうとか。

伝えたいことはある。

 

しかし、そこの価値を示して、子どもたちは納得してやりたくてやっているのだろうか?

強いリーダーシップのもと、たどり着いた駅は連れてこられた駅でたどり着いた駅じゃない。

 

連れてこられるとたどり着く。

方向性はそっちと伝えるけど、自分たちで道を作ったらきっともう一度進めるのだ。

 

リーダーシップとはとっても難しい。

 

どこまで引っ張り、見守るのか。

言うべきことは何か?

お互いがお互いをケアしていけるように。

さらには、ハードワークを前提としていけるように。

いつももう一度考えたい。