しんかいのデザインノート

小さな振り返りノートの積み重ねから気づいた大きなスケッチブック。今のところの考えをつれづれなるままに。

先生の学校より

昨日は誘われて、講演を聞いてきた。
ただ何もせずに2時間話を聞くってけっこう久しぶりな気がする。

教育という世界を外から見ている人たちがどう思っているのか?
何を考えて仕事しているのか?
とかけっこう興味があった。

僕らが学校、学級、授業のシステムを考えるときに
ビジネスの世界は参考になる。

「ボランティアはし続けることが難しい。」
「ビジネスにしないと長続きしない。」

カンブリア宮殿の本を読んでいるときに出てきた言葉はいつも引っかかる。

いいことをしようって声をかけても、それはやはり自分に何らかの形で帰ってこないと達成感は生まれないのかもしれないなーって。
帰りの会なんかでいいところ見つけなんてしてても、いつのまにかしりつぼみになってしまうことはよくある(笑)

お金とスマホの話をしてくれたキングコングの西野さん。
確かにそうだなーと思うことも。それと同時に信用を可視化するというのは、シビアな世界だと。

でも、「時間がないから」と言って手放していたものを
形を変えて、もう一度取り戻してみようっていう気持ちになってきた。

 

振り返りジャーナルも形を変えて、もう一度やり始め。

もう一つ、ビー玉貯金というのも実はいいシステムだったのかもしれない。

これを子どもたちの手に返していけば、違った形で

サスティナブルなシステムが作れるのではという、妄想は膨らむ。

パラダイムシフト

9月に入って考えることは

当たり前に注目すること

できていないことではなく、できていることに注目すること。

これってとても難しい。そりゃできていないのをなんとかしたいっていう思いに駆られてしまうから。

でも、その人にフィードバックすることも

モデルを示すこともどちらもバランスよく必要なのであれば

後者の方をもっとぼくは意識していかなければならないなって思う。

 

フィードバックにモデルを示すっていうこともありか。書きながら整理されて来た。

学習とはマネからできていると考えると、

もっとモデルを見るという方向性に目を向ける必要がある。

 

これはとっても難しい。

今まで意識の薄かったところだから。

何度も僕もやり直しをしている。

学ぶとは一体なんだろう。

学ぶとはまねること

多くの見本になる人がいるということを見つける。

どん欲にまねること

そうやって学んでいくんだ。

 

だから、言葉による注意ではなく、まねる対象をたくさんつくる

「見本になろう」

「こうしたほうがいいよ」

「俺についてこい」と。

 

答えのないことってあるのだろうか?

実はクリエイティブなことって、まったく新しいことではなく、前にやっていたり、何かを足し合わせたり、引いたりすることでできているのではないだろうか?

学びとはいろいろな情報を集め、自分や必要とされるものに合うものをつくることなのではないだろうか?
自分に合う言葉だったり、行動だったり。

 

追記•答えとはきっと仮説をつくることかな。いまの僕の中で。

 

 

と、今日の頭の中を書いておきたくなった。

まだまだだなと思うこと。

今日から始まりました。

「キミのクラスはまだ、お互いの話を聞くってことが弱いよね」

「集中してたら動かないんだよ」

「姿勢とかも意識していった方がいいよ」

これは僕のクラスに対するフィードバックです。

どうしたらいいのだろう?

積極的にほめていったらいいのか?

そんな風に考えていることもあり、でも形式的になるのは嫌だ。

何を伝えていったらいいのだろう・・・

そんなことを考えます。

 

今日は「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ながら

森保さんのあり方について考えました。

うん、僕はまだまだ対話の意識が弱かったなといい振り返りに

質問からの声のかけ方、タイミング、そして対話の終わり方

みんなでミスをカバーするという姿勢

自分の強みを意識することの大切さ

こんなことをもう一度考えて、また明日からリスタートです。

 

いいタイミングだったと思います。

まだまだ振り返りながら学ぶことがたくさん。

ゆっくりと振り返ります。

 

歯医者さんでもリフレクションすることはできる。

振り返りはできるようになるといろんなことが学びになります。

例えば、今日歯医者に行きました。

言っておきますが、僕は歯医者さんは大嫌いです(笑)

あの削るのが痛いからです。

僕はずっと「次は何があるのか、嫌だなー」と思いながらそわそわしてるわけです。

不安いっぱいなので、ちょっとでも次起こることを知っておくと心に覚悟ができます。

時間も30分しかないので、歯医者さんも急いでるわけで。

「次何するんですか?」って聞いてみたら

「今は答えられません」と。

もう、イラッとしてしまいます(笑)

 

ま、我慢して過ごすんですけど。。。

 

ふと、思うわけです。

「なんでイラッとしたんだろう?」

それは先が見えない不安からなのかなと思います。

でも、先が見えてしまうと嫌なこともあります。

楽しいことをしているときは、「次はこれやるよ」って言われると

「まだやってたいのに」って思うことも。

 

つまり、嫌なことは先が見えているとちょっと覚悟ができる。

好きなことは先が見えていると少し残念な気持ちになる。いや、好きなことでも時間があると自制できるかもしれません。

ここまでにしようってまたやればいいやって

でも、またやる時間は大切ですね。

そんなことはあるんだろうなと。

 

これってきっとお勉強とかもそうなんだろうなと思います。

算数が嫌いな人にとっては、先が見えていた方がいい。

好きな人にとっては、見えていなくても没頭できる時間がほしい。

 

僕はお勉強もなるべく、「好き」という気持ちになってほしいなと思うので、

先を見せて覚悟をつけるとか終わりが見えることをあまりしたくないなと思います。

じゃあ、どうやったら好きになれるのか?ここがとっても大切なんだろうなと思います。

 

脱線しました(笑)

ここまでは振り返りと本質的なポイントを探る時間。

まだ解決策は出ていませんね(笑)

歯医者さんに次は最初に全部やること聞いてみようかな・・

でも、これが最適解だとは思わないし。

毎日、解決策まで出るものではないので、この問いを持ち続けることが大切なのかなと思います。

 

自分の好き嫌いを見つめること

 

解決するためのおおきな問いを持ち続けること

 

そうやって理想へと近づいてくんだろうと。

現実はこうだったと思いながら、日々埋める作業です。

「こうだっ」と思っても、失敗することもあります。

僕の中の正解を探るのです。自分にあった言葉てして。

これを我慢するのではなく、無理なくできる方法として。

学びとは自分に合う言葉探しかなと思います。

 

と、今のところの「振り返り論」ではありますが。

議論の可視化にできること

これは7月30日に行ってきたもの

そうそうたるグラフィックファシリテーターの方々が集まる場

何を書くのか

もう一回振り返っています。

 

【僕の心に残ったキーワード】

「その場にある感情・雰囲気」「本当の問題」を見せること

他責から自責へ

書いていいかそうではないかの確認

書いてしまったものには「私にはこう見えた」とフィードバックすること

その場が用意されている意図

話の上手い人だけではない、全員が参加できるように絵があること

グラフィックレコーディングの生かし方

あなたがいいたいことはこういうこと?

 

見ただけだとなんのこっちゃわかりませんね。でも僕にとってはとても大切なこと。

とてもいい時間でした。

全国算数授業研究大会

今度は算数へも行ってきました。よほどの暇人かと思われそうですが。。。

でも僕にとってはとても大切な場所です。

僕の心をひかれている実践とは違うものを見る「異質」から学ぶことはとても意味があると思います。

その中でその先生がどういう意図をもってやっているのか

ここがとっても大切なだと思います。

僕たちとやり方が違っても、きっと思いをもってやっていることは同じで

それを否定することなく、そこには「こういう意図もあるんだね」と見れること。これって大切だなと思います。

 

で、僕が見ていたのはもちろん教材のこと

教科書をスムーズに使うってことをしない算数が多いですが、単元全体を見てどういう力をつけていきたいのか

教科書を使うとどうなるのかってことは考えながら

そういった意味で僕はうまく教科書をプログラムデザインできるようになりたいなと思っています。

 

「何を知りたい?」という問いにも子どもたちが主体的にしたいという意図、授業をともに作るということが出てきているし

「ちょっと確認して」とどういうときにペアトークを入れているのか(これは確認が多いですね)

「どんなことでなやんでるの?」という問いにも困っている子、学習がうまく進んでいない子に寄り添おうという気持ちが見られるなと

『「僕はきっちりとやっている子」「言われたことを頑張っている子」に寄り添う』とおっしゃるその言葉も。

「この子の言いたいことわかる?」「どういう気持ちかわかる?」これは学ぶってことがどういうことなのかを示してくれている言葉でした。見えないものをみえるようにする。それは学習内容も友達の心も同じだなと。

 

総括してなんとなくなのですが

学習というのは「知らない言葉」について知り、それを使っていくことなんだと

そうすることでその中でのコミュニティの中での共通の言語にしていくことなんだと思います。

 

また、お互いに見えていないことを話すには感情だったり、言葉だったり、そこにずれが生じることが

それを僕たちは可視化ということを通して翻訳していくこと大切なんだろうと考えています。

 

最後に「困っている子に寄り添う」この気持ちは変わらないなと。どこでリカバリーしようとしているかによるけれども、

その時間内に救ってあげようとするのか、長い時間を通して救ってあげようとするのか、自分の力でできるようにしようとしているのはどちらも同じ。

そういった意味で見る視点はこういうところなんだと。

ファシリテーターも同じですね。表情とかを観察してそっと寄り添ったりする。

 

今の僕の見えていること。残しておこう。